"すべての人は、罪を犯したので、 神からの栄誉を受けることができず、"
(ローマ人への手紙 3章23節)
神様からはなれ、一生涯、悪魔(サタン)の支配に苦しみながら、地獄に行くしかない運命にとらわれていた私たち。
自分の努力では、どうあがいても解決できない運命から、私たちを完全に解放させるため、神の子は人となって、この地に来られました。
約束どおり来られたその方は、神様のご計画どおり、十字架にかかられました。
私たちの代わりに血をながし、私たちのすべての罪がゆるされるために。
サタンの権威を完全に終わらせ、ご自身が愛をもってすべてを治められるために。
神様からはなれた私たちが、神様に出会うことのできる、唯一の道となられるために。
"そして、キリストは苦しみを受け、 死者の中からよみがえらなければならないことを説明し、 また論証して、「私があなたがたに伝えているこのイエスこそ、 キリストなのです」と言った。"(使徒の働き 17章3節)
キリストは、油をそそがれた者、すなわち、王としてすべてを治め、大祭司として人々の罪を贖(あがな)い、預言者として神様と人との仲介者となる者のことです。
イエスは十字架の上で、キリストとしての働きをまっとうされました。
死んで墓にほうむられ、ご自分がキリストであることの証明として、三日後に復活されました。
復活祭は、このキリストの復活をよろこび祝うものなのです。
イエスはいまも生きて、私たちのこころの戸をたたいておられます。
この方を信じ、人生の主人としてこころの中に受け入れるとき、私たちは神様の子どもとなって、新しいいのちを生きるようになります。
ともに、イエスをキリストとして、受け入れる祈りをささげましょう。
『神様。私は罪人です。私のために十字架で死んでよみがえり、罪とサタンの権威を打ち破って、人生のすべての問題を完全に解決されたイエス様を、今、救い主として、私の主人として、心の中に受け入れます。
私の心に入ってくださり、これからの人生を導いてください。
そして神様の子どもになった祝福を、毎日味わいながら生きるようにさせてください。
私を救ってくださったことに感謝して、イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン』
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